ミセス・ハーヴェイとの密会の後、確かにウォーターに対する尋問は弱まった。そして「女王陛下の御ために」という使命感も手伝って、ウォーターはついに、無事この裁判の日を迎えることができた。

「ついたぞ、降りろ」

 護送の兵士に促されて鉄格子つきの馬車を降りると、アヴィリオン高等法院の巨大な尖塔がウォーターを見下ろしていた。気圧されそうになるが、すぐに気をとりなおす。 今日のウォーターは、どうやらいつもと一味違った。なぜなら彼は、今や女王陛下の力添えをいただいているのだ。ちょっとやそっとのことで動じていては情けない、堂々とした態度で裁判に臨まねば。自分に言い聞かせながら、精一杯胸を張って法院のアーチ扉をくぐった。

 大理石の廊下を抜け、吹き抜けの階段を上る。えらそうな口ひげをはやしたの衛兵にも負けてはならぬと、精一杯虚勢を張って大股で歩くウォーター。しかしそんな涙ぐましい努力は、被告人控え室に通されると同時に、全て無に帰してしまった。

「なんだ、こりゃあ……」

 ウォーターは面食らって、あんぐりと口をあけた。狭く薄暗い部屋の中は、既に十人からの、白い法衣をまとった光神教会の僧侶たちでひしめきあっていた。しかも彼らは皆、聞いたこともない呪文のような言葉で、口々に怒鳴りあっている。

「……うん? ああ、あれ、君は——」

 案内役の兵士からも置き去りにされ、部屋の入り口で硬直していたウォーターに、気がついたのは、まだ学生と思われる一番若い僧侶だった。

「先生方、ストップ、ストップ。我らがウォーター君のご到着ですよ」

 その声を聞いて、他の僧侶たちもようやく議論らしきものを中断した。よくみれば皆壮年を越えており、身なりも立派で、身分ある人々だとうかがえる。

 彼らは別段悪びれるそぶりもなく、今度はウォーターに握手を求めて押し寄せた。

「やあ、君が陛下とお嬢様を救った英雄殿かい?我々は、今回お嬢様から君の弁護を頼まれた弁士だよ」

「君の事はお嬢様から聞いているよ、勇敢な若者だとね」

「ああ、お嬢様ってのは、ハーヴェイ女史のことだ」

「我々は、女史のお父上の教え子でね」

「しかしよりによって、お嬢様の命の恩人に罪をなすりつけるとは、許せん奴等だ」

「我々が付いたからには、絶対に君の無実を証明してみせるよ」

「それだけじゃ足りんな、賠償もさせんことには」

「君は審議中寝ていてもかまわんよ。後のことは我々がすべてやるからな」

「まあ、古典語の裁判内容なんて聞いてもわからんだろう?」

 議論の勢いそのままに一方的にまくし立てられて、ウォーターは「はあ」「どうも」と曖昧な返事を繰り返すばかりだった。僧侶たちもまた、別段それを気にしてはいない。というよりもウォーターのことなどはなから眼中にないようで、言いたいことだけを言ってからは、またやかましい議論に戻ってしまった。

「ああ、ごめんね、ウォーター君。あの人たちは、議論に夢中になると止まらなくて。まるで子どもみたいだろう。弁士としての実力は確かなんだけどね」

 言うのは、先の若い学僧である。部屋の隅に取り残されたウォーターをみかねて、議論に加わらずウォーターについてやることにしたようだ。

「君の弁護の要旨はもう決まっているんだけどね。それを主張するときに、聖典のどの部分を引用するかでまだ揉めてるのさ。なんだかなあ」

「いえ、私のために議論してくださっているのですから……ええ、まあ、少し驚きはしましたけど。あの、失礼ですが、あなたのお名前は?」

 ウォーターは、ようやく居場所を見つけたと胸をなでおろし、この親切な学僧に感謝した。学僧は他の弁士たちと同様、立派な法衣をまとい、頭頂を剃っていたが、近くで見ると思ったよりもずっと若いようだった。

「トマス・ウィード。トマスでいいよ。それに、そんなにかしこまらなくてもいい。いつも通り喋ってよ。僕、そういうのあんまり得意じゃなくてさ」

 トマスがそう言ってにっと笑うと、口元にえくぼが出来た。そばかすの多い顔、赤みの強い癖毛。僧侶の姿をしていなければ、街のいたずら小僧にしか見えないだろう。

「そんな、恐れ多い。あなたみたいなご立派な神学生さんを、私なんかが呼び捨てにしたら、ばちが当たりますよ」

 ウォーターはぶるると首を振った。いくらやんちゃに見えようと、学生の身で一人法廷に参加しているからには、優秀な神学生にちがいないのだ。

「光神はそんなことじゃお怒りにはならないよ。光の下に人は皆平等って、建前上はね」

 そんな皮肉めいたことを言いながら、片目をつぶる。トマスは人を丸め込むのが天才的に上手かった。弁士という人種は、その仕事柄、一般的な僧侶のイメージとは異なり、社交的で口数が多いと言われる。トマスはとりわけその傾向が強いようだった。

「いいのかなあ、お坊さんがそんなこといっちゃって……」

 最初は遠慮していたウォーターも、半刻も喋っていると、いつのまにか、この若い弁士と10年来の親友であるかのように打ち解けていた。

「さて、開廷まではまだ時間があるな。先生方の議論もまだ終わらないみたいだし、裁判について何か質問があれば、答えられる範囲で答えるよ」

 他愛もない話がひと段落すると、トマスはそう切り出した。

「本当?助かるよ。実際のところ、おれはまだ、今の状況が全くわかっていないんだ」

 ウォーターは、すぐさま食いついた。彼には、どんなに考えてもわからない、ずっと知りたかった疑問があったからだ。

 一つ、誰が女王を暗殺しようとしたのか。二つ、なぜ女王は無実を知りながら自分を訴えたのか。ミセス・ハーヴェイは、肝心なことを何一つ教えてくれなかったのだ。

「頼むよ、教えてくれないか」

 ウォーターは声を一段落として言った。トマスの正面に向き直り、その目をじっと見据える。和やかに談笑していた先ほどまでとは違う、真剣な態度である。

「ど、どうした、急に改まって」

「おれは知りたいんだ」

「な、何を?」

「この事件の、真相」