麦作や牧畜を生業とする者たちが住まう、貧しい農村、そのはずれ。

 竜に乗ったウォーターを囲むように、三十からの村人が集まっていた。ウォーターは王都へ出立するこの日のためにあつらえた上等な服を着せられて、照れくさそうに笑っている。

「いよう、竜騎士様!」

 投げかけられた声に答えてウォーターが手を振ると、人々はやんやの喝采を送った。

「おうおう、さまになってるじゃないか」

「馬子にも衣装た、このことだ」

「しかしあのはなたれ小僧が、まさか竜騎士になるとはなあ」

「なきべそかいて戻ってくるなよ!」

 親族のみならず、住民総出での見送りである。からかい半分ではあったが、今までの生涯であまり褒められるということが無かったウォーターは、素直に喜んだ。

「みんな、見送りありがとう。それじゃあ、行ってきます!」

 ウォーターは愛竜の手綱を引っ張り、身を翻して村人たちの周りを半周すると、「やあ!」彼らの頭の上を飛び越すパフォーマンスをして見せた。

「こらあ、調子に乗るんじゃねえ!」

「子供が泣き出しちゃったじゃないの!」

 飛び交うブーイングは、しかし、既に遠く走り去ってしまっていたウォーターには届いていなかった。

 

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「ああ、自由っていいなあ」

 初夏の草原地帯を駆けながら、ウォーターはひとりごとのようにつぶやいた。

 ウォーターとその家族は、女王から与えられた報奨金で地主に手切れ金を支払い、晴れて小作人の身分から解放されて、自由人となっていた。もはや高額の地代を払う必要は無く、どこに行くのも何をするのも自由というわけだ。

 ほんの少し前までは、どうしようもなく縛られていた人生。しかし今、鎖は解かれ、ウォーターの目前には限りない可能性が広がっていた。

「なあ、お前もそう思うだろ、ロシナンテ」

 目を細め、ようやく手に入れた自らの愛竜に話しかける。

 ウォーターはまた、残った報奨金のほとんど全てを使って、地主からロシナンテを身請けしていた。私物のように使ってはいたが、本来はロシナンテも地主からの借り物であったのだ。地主は今回の騒動を迷惑がっていたため、かなり値段を吹っかけてきたが、ウォーターは文句を言わずに代金を支払った。竜騎兵ウォーターの相棒はロシナンテ以外には考えられないと、自ら決めていたのである。

「……それに、血統書つきのでっかい戦竜を買う金までは、残ってなかったしね」

 主のつぶやきを聞きとがめるかのように、ロシナンテはぶるんと体を揺さぶった。

「おおっと。こら、よせよ。危ないし……それに、見られたら恥ずかしいだろ」

 いつの間にか一人と一頭の回りには、ちらほらと行き来する人や馬車がみえるようになっていた。草原を抜け、街道へと出たのである。

 今日くらい晴れた日なら、もしや。ウォーターが目を凝らすと、遠く地平線のかなたには、王都ティンタジェルの長大な城壁が、蜃気楼のようにゆらぎ見えていた。

「よし、これなら日が昇りきる前には着くかもしれない。そら、もうひとがんばりだ」

 いてもたってもいられなくなったウォーターは、鞭で軽くロシナンテを急かした。目をらんらんと輝かせ、その表情はいつにも増して子供っぽくみえる。

 ロシナンテはうるさそうにしながらも、そんな様子の主人に逆らう無駄を悟ったか、鞭に従って気のなさそうな駆け足を見せた。

 

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 ティンタジェルの巨大な城門にて。目論み通り、正午前に王都の城門に到着したウォーターとロシナンテ。

「どう、どう、止まれ」 行く手ををさえぎるのは、槍を持ったひげ面の番兵だった。城門は、街への出入りを管理する関所にもなっているのだ。

「はいはい、竜を乗り入れるのには通行証が要るよ。ないなら一旦出直しな」

「カーターのおやじさん、久しぶり。おれだよ、ウォーターだよ」

 王都にはロシナンテをつれて何度も作物を卸しに来ているので、大抵の番兵とは顔見知りである。親しげに声をかけられて、ひげの番兵も相好を崩した。

「なんだい坊主、お前さんかい。えらくめかしこんでるから、誰だかわからなかったじゃあねえか。荷を持ってねえところをみると、今日は買出しか?」

「いいや、実は、竜騎兵隊に入ることになったんだ」

「ハッハ! そいつはいいや! うん、お前なら通交証は持ってるな。通っていいぞ、気をつけてな」

 お前にしちゃ気の利いた冗談だったぞ、と手を振る番兵のおやじ。冗談じゃないんだけどなあ、ウォーターは苦笑混じりにつぶやいた。

 王都ティンタジェルは広大である。町外れの城門から、ティンタジェル宮に程近い竜騎兵隊本部までは、竜に乗っていても優に一刻の時間を要した。

 ウォーターはようやくたどり着いた目的地の前で、そびえたつ黒塗りの鉄格子の門をみあげた。なるほど、巨大な戦竜が通れる大きさと頑丈さを備えたつくりになっている。門の先には、王都中心の一等地にありながら、竜がらくらく走り回れるほどの広い庭。そして白塗りの瀟洒な竜騎兵隊舎。さすがは華の女王親衛隊というべき威容だった。

「すみません、誰かいませんかあ」

 ウォーターが声を張り上げると、門の脇の小屋から小間使いらしき男が出てきた。

「はいはい、何かごようで……ふおっ!」

 男は竜上のウォーターを見上げ、なにやら驚いた様子である。

「ちょ、ちょっとあなた、一体、こりゃあ何事ですか?」

「今日から近衛竜騎兵隊でお世話になることになりました、ウォーター・シェパードです……あの、もしかして聞いてなかったりします?」

「!あ、ああ、ああ、はい、いえいえ。もちろん聞いておりますが……ちょちょ、ちょっと待ってください。今隊士の方を呼んでまいりますので」

 そそくさと奥に入っていく小間使いの男。そして数分の後、かわって竜騎兵の制服を着た隊士たちが外に出てきた。しかし彼らは新入りを歓迎するでもなく、物珍しそうな顔をして、遠巻きにウォーターとロシナンテを囲むばかり。中には、ウォーターのほうを指差してにやにやと笑っている者もいた。

 なんだろう、この空気は。思いもよらぬ反応に、急に不安に駆られるウォーター。どうやら竜騎兵隊での生活は、思った以上に波乱に満ちたものになるのではないかと、そんな予感がした。