「なんで竜がこんなところにいるのよ! ちょっと、誰かいないの!?」

 ウォーターが急いで宿の外に飛び出すと、きゃあ、きゃあ、と甲高い声で大騒ぎしている女性の姿があった。ウェーブのかかったこげ茶色の髪を肩の辺りでそろえ、年のころはウォーターと同じくらいだろうか。女中がよく着る、エプロンつきの質素なドレスを身にまとっている。

「ああ、すみません、僕の竜なんです。噛まないから、おちついて!」

 ウォーターはロシナンテの手綱をひっぱって、すぐさま女性との間に割ってはいった。

「本当に、申し訳ありません!驚かせてしまって……」

 ウォーターはしりもちをついた女性に手を差し伸べようとした。が、当の女性はその手を振り払うようにして自力で立ち上がると、気の強そうな眉をつりあげて、ウォーターにくってかかった。

「あなた! こんな狭いところに竜を入れて、非常識にもほどがあるでしょう!」

「はやくどかしてよ、私はそこの宿に用があるんだから」

「ああもう、そろそろ言いつけの時間なのにあなたのせいで遅れそうじゃないの、一体どうしてくれるのよ!」

「そ、それは、重ね重ね申し訳なく……」

 竜を怖がるようなか弱い女の子かと思いきや、その実、女性は往来を邪魔されたことのほうに腹を立てているようだった。すごい剣幕で怒鳴り散らすその姿は、肝の据わった市場のおかみさんのようだ、しどろもどろに弁明を重ねながら、ウォーターがすっかり参ってしまっていたところ。

「あ、あのう、もしや、ブルックのお嬢さんじゃあございませんか」

 きんきん響く声をききつけて、ようやく宿から出てきた亭主がおずおずと声をかけた。

「ああ、親父さん! あなたも言ってやんなさいよ、こんなところに竜を止められちゃあ商売にならないって!」

「はい、はい、それはもう。今もちょうど申しておりましたところで……失礼いたしました。ところであのう、もしやお嬢さんは、なにか御用でこちらにいらしたのでは」

「あ、そうだった、すっかり忘れていたわ。実は親父さん、今日この宿に来ることになった竜騎兵様に会いに来たのよ。そこの田舎者のせいで、約束の時間を過ぎてしまったわ。もうこちらにはいらしてるのかしら」

「は、はい、そのう……実は、そちらのお方が」

 亭主がそう言って指差す先には、件の冴えない田舎者が、肩をすくめて所在なさげに立ちつくしていた。

 

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「改めて、自己紹介するわね。私はシャロン・ブルック、女王陛下のお食事係。そして、ハーヴェイ様の小間使いのようなこともしているわ。今日は、ハーヴェイ様から、あなたの案内をするように言われてここに来たんだけれど……」

 まだ荷物も解かれていない、殺風景なウォーターの個室。「ブルックのお嬢さん」は部屋の主を差し置いて備え付けのベッドにふんぞり返ると、大きなため息をついた。

「はあーあ、なんてことかしら! そりゃあ、私だって女の子だから。女王陛下の危機に颯爽と駆けつけた竜騎兵様といったら、多少の期待はするものじゃない。それが、まさか、こんなだとは思わないものね」

 酷い言われようだが、ウォーターは黙って聞いていた(家具もまだ揃っていないので、突っ立ったままで)。反論の余地がないことは、自分が一番良く知っている。

「とにかく、それは措くにしても。あなたにはもう少し、しっかりしてもらわないと。ハーヴェイ女官長殿もまた、なんでまたこんなのを……」

「……はあ、すみませんでした、ミス・ブルック」

「まったく……一体あなたには自覚というものがあるのかしら? あなたは今日から、女王陛下の間諜になるっていうのに」

 ごくり、ウォーターは生唾をのんだ。スパイ、という不穏な言葉の響き。改めて口にされると、いままでのうわついた気分もすっかりさめてしまうようだった。

 

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 ウォーターは、竜騎兵隊に入隊するにあたり、ミセス・ハーヴェイからいくつかの条件を出されていた。

 ひとつ、女王暗殺未遂事件のことは、誰にも口外しないこと。世に無用の混乱をもたらすため、事件については一般には公表されていない。無論、ウォーターの英雄的行動についても同様である。もし竜騎兵隊への推薦の理由を聞かれても、適当にごまかしておくように。

 ひとつ、竜騎兵隊におかしな動きがないか調査すること。近頃竜騎兵隊の一部が、女王陛下と対立する枢機卿一派と接近している可能性がある。事の真偽を確かめるため、ささいなことでも何かおかしなことがあったらすぐに報告すること。宿舎には定期的に連絡員を送るので、報告とこちらからの伝達はその者(つまりミス・ブルックのことだ)を通して行う。

「つまりあなたは、表向きは女王陛下の竜騎兵として、裏では女王陛下の間諜として働いてもらうことになります。当然、危険極まりない場所に身を置くことになる。もう一度聞きます、本当に覚悟は出来ていますか」と、ミセス・ハーヴェイは、何度も繰り返しウォーターに確かめた。断ったほうが身のためだとでも言うように。

「もちろんです」

 しかしウォーターは、きっぱりと答えた。どんなに苦しいときにも恐ろしいときにも、女王陛下のお顔を思い出せば、たちまち心が落ち着き、恐怖は消え去り、心に熱い炎がともる。

 口調や雰囲気までが急に変わるので、周囲の人間はしばしば戸惑うことになるのだが。

 

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「覚悟はできています。女王陛下のために働く、それが僕の望みですから」

「え、ええ。それならいいわ」

 こほん、とミス・ブルックはひとつせきをした。

「ところで、間諜の任務の詳細についてだけれど。私は週に一度ここに来るから、基本的に、気になったことはすべて教えてね。それからひとつ、特に気をつけていて欲しいことがあるの」

「なんでしょう」

「竜騎兵隊へ出入りする、とある人物のことよ。じつは、竜騎兵隊に疑いがかかっているのは、そいつが出入りする姿が目撃されているからなの」

「と、いうと?」

「私たちも、まだ詳しいところまでわかっているわけじゃないけれど。修道僧のような黒いローブをまとった僧侶が、夜な夜な隊舎のほうへ入っていくという噂を、ハーヴェイ様の『草』のひとりが拾ってきたの。それだけならば気にもしないところだけれど……実はあのゲインズボロー司教の邸宅にも、似たような人物が出入りするのが目撃されているのよ」

 ゲインズボロー司教。ウォーターは復唱した。それは、この国を我が物にせんとする枢機卿の右腕であり、女王暗殺を計画した張本人であり、ウォーターを貶めようとした、憎き敵の名である。

「その男を介して、竜騎兵隊が枢機卿派と連絡を取っている可能性がある、と」

「そういうこと。もちろん、それが同一人物だという確証もまだないし、男の正体に見当が付いているわけでもないけど……だからこそ、あなたにそれを調べて欲しいのよ。隊に出入りする人間の中でも、特に僧形の男には気をつけていてね」

 わかりました。と、言いながらウォーターは少し眉根を寄せた。それをミス・ブルックが見咎める。

「どうしたの?」

「いえ、まだ、信じられなくて。本当に、竜騎兵隊が女王陛下を裏切ったりなどするものなのかと……」

 王家直属、近衛竜騎兵隊。アヴィリオン軍の華、国民の誇り。子供のころから憧れ続けた、永遠のヒーロー。信じられない、いや、信じたくなかった。

 何かの間違いであって欲しい。疑いが晴れて、何の後ろ暗いところなく間諜の任務が終わり、あとはいち竜騎兵としてまっとうに女王陛下に仕えることができれば。それが、ウォーターの偽らざる思いだった。

「もちろん、まだ証拠もなにもあるわけではないわ。ほんのちいさな、つぼみのような疑いだけ。だけど、近衛竜騎兵隊には、そのわずかな疑いさえもあってはいけないのよ。近衛とは、女王陛下の盾。盾が張りぼてじゃ、身は守れないでしょう?」

 それに、と一呼吸置いて、ミス・ブルックは続ける。

「もしも竜騎兵隊が陛下を見限ったといううわさが流れれば、民衆は激しく動揺するわ。一体、正義はどちらなのか、とね。近衛竜騎兵隊とはそれほどの存在よ」

 はい……わかっています。ウォーターは神妙に頷いた。

「だから、念のため、ね。まだそうと決まったわけじゃないんだから、しゃんとしなさい!」

 ミス・ブルックは暗い顔のウォーターの背をぱあんと叩いた。予想以上の力に、ウォーターのあしもとがふらつく。

「あの、ミス・ブルック、もうちょっと、やさしく……」

「暗い顔しないの。それにさ、ミス、ミスって、そんなにかしこまらないでよ。シャロンでいいわ、私たち長い付き合いになりそうだもの……」

「は、はあ……」

 急にしなをつくって身体をよせてくるミス・ブルック、もといシャロン。女性慣れしていないウォーターはついどぎまぎしてしまった。

「それにね。あたし、きついことも言っちゃったけど、ちょーっと想像とちがったけど、あなたにはとっても感謝してるの。あたし、陛下のことも、女官長殿のこともすごく尊敬しているから。だから……」

 シャロンは、黙っていればチャーミングな顔で、悪戯っぽく笑った。

「ねえ、あたしあなたの恋人になったげる」

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