この世知辛い世の中にあっては、全くの善意からとられた行動が、相手に正しく理解されないということもある。だから分不相応なことはするものではない、それが弱者の処世というものである。

 あの事件から二日後。ウォーターは冷たい石床の上で、自らの浅はかさを呪っていた。光の差し込まぬ薄暗い牢の中は、初夏だというのに肌寒く、鞭で打たれた傷にしみる。鉄格子の先から無言で投げかけられる見張りの視線が、それに追い討ちをかけるようにも思われた。

 その勇敢な行動によってウォーターが女王陛下から賜ったものは、英雄としての栄誉ではなく、女王暗殺未遂の下手人という罪だった。

 思えば、確かに不自然な事件だった。訓練された戦竜は、敵に対しては獰猛だが、主人に対しては犬よりも忠実なものである。何事もなく行進していた竜が、前触れも無く暴れだすなど、普通ではまずありえないことだ。 ウォーターは気付くべきだった。そんな不測の事故で女王の命が危機にさらされていることの意味、それは本当に単なる偶然などでありえるだろうか。

 案の定、後の調べでは、竜の死体から「赤い靴」と呼ばれる猛毒がみつかっていた。それは西方から伝わったとされる希少な薬で、ほんの少量で象をも殺す毒性を持つ。口に入れた者は、あまりの激痛にもだえ苦しみ大暴れした挙句、大量の血を吐いて息絶えるのだという。

 こんな状況では、ウォーターが疑われたのはまず無理からぬことだろう。窮地の姫君を救う白馬の騎士などは、所詮物語の中にしか存在しえないのである。

 ウォーターが崖の上で行列を見物していたと正直に言えば、それは狡猾に犯行の機をうかがっていたのだと取られた。竜を止めるために崖を降りたと言えば、確実に女王の命を奪うために、一緒に馬車に突進したと解釈された(実際に馬車は戦闘に巻き込まれて大破しているのだから、まるきり無責任とも言えないが)。

 それだけではない。ウォーターがいた崖の上からは、犯行に使われたとみられる猛毒の吹き矢が、ご丁寧にも「発見」されていた。ウォーターの行動の一部始終を間近で見ていたはずの女王の衛兵たちは何故か一様に口をつぐんでしまった。

 誰かが自分を犯人に仕立て上げようとしていることは、多少人より鈍いたちのウォーターにも明らかだった。

 獄吏たちはウォーターを尋問し、ありもしない罪、いもしない共犯者の名を自白するように迫った。ウォーターはこの二日の間、無実の主張を譲らずに、飛んでくる鞭にもよく耐えていた。しかし、それももはや限界に近付いていた。

 裁判は三日後に迫っている。ウォーターは重要な政治犯として、名高いアヴィリオン高等法院で裁かれることになるだろう。しかし所詮ウォーターは一人の小作農にすぎない。公正な裁判など、どうして期待できようか。 お仕着せの裁判で「無事に」死罪が決まれば、処刑はみせしめとして即刻行われるだろう。

「おれのせいで、みんな死ぬ」

 自分が謀られた悔しさよりも、そのことがウォーターの心をしめつけていた。女王暗殺未遂という大罪は、当然ウォーター一人の首で償いきれるものではない。両親、きょうだい、近しい親族にも累が及ぶだろう。彼らが既に拘禁されていることは、獄吏から伝えられていた。普段からのろまと馬鹿にされ、厄介者扱いされていた身ではあるが、そこはやはり血を分けた者たちである。自分のせいで彼らまで処刑されてしまうとなれば、悔恨の念は押しつぶされるほどにに膨らむばかりである。

 ウォーターは、さめざめと泣いた。一体なぜ、こんなことになってしまったのか。泣いたところでどうなるものではなくとも、泣かずにはいられなかった。

 その日の夜のこと。目を腫らしたまま寝てしまったウォーターの肩を、看守が乱暴に揺すった。

「面会だ、起きろ」

 ウォーターは怪訝な様子で目をこすった。面会。看守はそう言ったが、親族は既に捕まっているし、他に牢獄まで来てくれるような付き合いのある人間はいない。だとしたら、一体誰が自分に会いに来たのか。体を起こして、寝ぼけまなこをもう一度こすると、看守の後ろに見知らぬ女性が立っていた。