ざわ、ざわと、謁見室にどよめきが広がった。驚く者、あきれる者、笑う者、絶句する者。反応は様々であるが、どれも皆ウォーターの発言に好意的なものではない。

「あれ?僕は今、一体何を……」

 ウォーターの自問は、かぶせるような大声に遮られた。

「この下郎、恥を知れ!」

 声の主は、でっぷり肥えた油顔の僧侶。見間違えるはずもない、このたびの事件を起こした黒幕、ゲインズボロー司教である。

「貴様のごときどん百姓が、直に陛下にお目どおりを願うなど、おこがましいにも程があるわ!」

 顔を真っ赤にして暴れ牛のごとく怒るゲインズボローは、さらにこう続けた。

「陛下、このような不敬は断じて許されませんぞ! 即刻この者を退去させ、しかるべき罰を与えるべきでございましょう!」

 ああ、結局はそれか。謁見室にいる幾人かは、すぐに悟った。ゲインズボローは、自らの企みをを阻止した張本人が目前で栄誉にあずかるのが、よほど我慢ならないとみえる。一応は女王の近侍であるからには、あからさまにこの場を辞する訳にもいかず苛立っていたところに、式をぶち壊す格好の口実をみつけたというわけだ。

 しかし当のウォーターには、そこまで考える余裕はない。ゲインズボロー司教たち高位高官の貴族を敵に回す覚悟は立派だったが、やはりそこは、身分と年齢と経験とに、いかんともしがたい差がある。目前に詰め寄られて、つばきを飛ばす勢いで怒鳴り散らされれば、目を白黒させてかえるのようにひっくり返るほかない。もはや絶体絶命かとまで思った、しかしそのとき。

「くすくす。ふふふふ。あはははは!」

 鈴のころがるような笑い声がした。緊迫した空気が一瞬に消え去り、皆一様に目を丸くして、声のする先を見上げた。すなわち、女王の玉座。

「これでよろしかったか、羊飼い殿」

 同時に、玉座を覆っていたヴェールをたくしあげて少女が現れた。白磁でつくられた人形のような、その立ち姿。その人こそは、ああ、まさに。

「は、はい、陛下。ありがたき、しあわせ、でございます」

 ウォーターは仰向きにひっくり返り、驚愕の表情を浮かべたままで答えた。その姿を見た女王は再び、口元を押さえてころころと笑う。

「ああ、おかしい。ゲインズボロー、ここは余の顔に免じて矛を収めよ。余はこの者が気に入った」

 こちらもあっけにとられた顔のゲインズボロー。主君にここまで言われては、おおっぴらに非難する訳にもいかず、歯切れが悪いながらも「ははあ」と引き下がった。

 満足げにうなずき、女王は続ける。

「さて、ウォーター・シェパード。君の願いは、本当にこれでよかったのかな。余は君に命を救われたが、その対価がこれでは、余の面目が立たぬというものではないか」

「いいえ! 決してそんなことは。あなた様のお姿を一目見れただけで、私にとっては過分にすぎる褒美であります」と、それは建前ではなく、ウォーターの本音だった。事件の日以来に目にした女王の姿は、やはり眩しいほどに可憐で、繊細で、美しい。再び姿を見ることが出来、また声までかけていただいたからには、もはや死んでも惜しくないとまで思った。しかし、いくらそれを口にしようとしても、喉につっかえて出てこず、口を金魚のごとくぱくぱくとさせるばかり。そういえばこのもどかしい感覚も、事件の日以来であった。

「うむ、うむ、やはりまだ言いたいことがあるようだ。しかしな、少し待て。余は今、君にぴったりの褒美を思いついたのだ。まずは余の提案をきいてみぬか」

 女王は手を後ろに組み、玉座の前を往復しながら楽しげに言った。偉ぶった口調と裏腹に、仕草は歳相応の少女のものである。

「君には、どうやら竜を扱う才能があるようだ。そこで余は、君に近衛竜騎兵隊での働き口を用意してやろうと思う。おそらく、君にとっても非常に魅力的な提案ではないかと思うのだけれど」

 女王の言葉に、ざわ、と謁見室の貴族たちがどよめく。

 ウォーターは、一瞬聞き間違いかと思ってきょろきょろと左右を見回した。俺を、竜騎兵隊に? まさかそんな、出来すぎた話。玉座を見上げると、女王と目が合った。ガラス球のように清んだブルーの瞳が、ウォーターに微笑みかけていた。

「は……はい! 喜んで!」

 もはや考えるまでもない。ウォーターは頭を床にこすり付けて、何度も何度も礼を言った。満足そうに微笑む女王。列席の貴族たちのまばらな拍手が、それを祝福していた。