1337年に始まったイギリスとフランスの戦争は、一進一退、休戦と再開を 繰り返しながら、1453年にフランスが英軍を大陸から駆逐するまで100年以上 にわたって続きました。これが世に言う英仏百年戦争です。
この漫画は1440年、百年戦争末期のフランスを舞台にしています。 このころの百年戦争の情勢を簡単に説明します。
1・戦争の趨勢
1429年、フランス王国は国家存亡の危機にありました。 フランス東部の大領主ブルゴーニュ公がイギリスと同盟を結びフランスに敵対したことで、 王都パリをはじめフランスの国土の半ばは英国の勢力圏になっていたのです。
この年、英軍はフランス軍の主要都市オルレアンを包囲します。 オルレアンはロワール川の最重要渡河点で、この時点でイギリスの手中にあった王都パリと シャルル7世の本拠地ブールジュを一直線に結ぶ、防衛の要です。ここが落とされれば イギリス軍は続々と中・南仏に兵を進めてきます。 すでに風前の灯のフランス、ここが落とされればもはや滅亡は避けられません。
そこに颯爽と現れたのがかのジャンヌ・ダルク。オルレアンを英軍から開放、さらにその余勢 を駆って戦線を北部の都市ランスまで押し上げ、時の王シャルル7世の戴冠式*を実現します。
1431年、ジャンヌ・ダルクはブルゴーニュ公の軍勢に捕まり英国に引き渡され、そのまま火刑 に処されてしまいます。しかし彼女の活躍を転機にフランス軍は息を吹き返し、イギリス軍に 対し優位に戦争を進めるようになります。諸侯もシャルル7世に対して協力的になり、中立で あったブルターニュ公、かつての敵ブルゴーニュ公も仏側につきます。
仏軍は以降も地道に戦闘を重ね、1440年頃までには、イギリスの大陸における勢力圏を ノルマンディ・アキテーヌの二地域にまで削ることに成功しました。
しかしこうした華々しい戦果とは裏腹に、農村は戦火と重税、そして戦線縮小であぶれた 傭兵たちの蛮行により疲弊していました。
*戴冠式 フランス王はランスにおいて戴冠式を行ってはじめて、神性を帯びた正式な王として認められると考えられていました。
2・ブルゴーニュ公
「英仏」百年戦争とはいうものの、当時は今のような形でフランスとイギリスという国が 存在したわけではなく、実質的には諸侯を元首とする多数の小国が、王の名の下でゆ るやかな連合をつくっていたという考え方のほうが近いでしょう。
ですから、諸侯は自分 の都合で割と簡単にイギリスにもフランスにも寝返ります。そうした諸侯のなかでも最大 の勢力を持つブルゴーニュ公は、実質イギリス・フランスに次ぐ「第三の君主」として百年 戦争後半のキーマンとなっていました。
ブルゴーニュは内陸部の肥沃な農村地帯です。1384年、ブルゴーニュ公はこの本領に加え、 姻戚関係により毛織物貿易が盛んなフランドルも継承します。 この豊かな領地に支えられた財力は、主家のフランス王家をも凌ぐでしょう。
ブルゴーニュ公家はヴァロワ姓をもつフランス親王家ですが、イギリスとかかわりの 深い※フランドルを領有したことでイギリスにも太いパイプを持つようになりました。 この二面性は後々戦争の趨勢を大きく変動させる要因となりました。
この漫画の舞台、1440年当時のブルゴーニュ公はフィリップ善良公でした。 王太子シャルル(後のシャルル7世)に暗殺されたジャン公の後を受けた フィリップ公は、イギリスと同盟しフランスを存亡の危機に陥れます。 (彼はジャンヌ・ダルクを捕らえイギリスに渡した張本人でもあります。)
しかしイギリスが劣勢になったと見るや単独で停戦、1435年にはフランスと和解し シャルル7世から多大な譲歩を引き出して見せる。 かなり政治手腕に長けた人物だったといえます。 (ただし、ネーデルラントの継承権等を巡ってイギリスと対立したことで、同盟関係は既に微妙になってたようです。)
公領はフランス王も手出しできない完全な自治領。安定した治下では騎士道文化や 北方ルネサンスが最盛期を迎えました。
※フランドルの毛織物産業はイギリスからの羊毛輸入に依存しており、領地経営には イギリスとの協力が不可欠でした。
1429年のフランス。点がイギリス、斜線がブルターニュ公、かけ線がブルゴーニュ公の勢力範囲。
この時点ではブルゴーニュ公はイギリス側につき、ブルターニュ公は中立。 シャルル7世の本拠はブールジュ。
ロワール河の最重要渡河点であるオルレアンが落とされれば、 英軍が中、南フランスになだれ込むことになり、シャルル7世側の敗北はまぬがれません。
この漫画の舞台、1440年ごろのフランス。この頃にはブルゴーニュ公もブルターニュ公も親フランスの立場を 取るようになっていました。大陸のイギリス領はノルマンディ・アキテーヌだけとなり、またそれらも着々とフランス軍が 奪還しつつあります。
豆知識的散文
●ラ・ピュセルという単語、今でこそ「乙女」「聖女」などともっともらしく訳されていますが、元々の意味は「下女」、 あるいは下女をするような身分の女性というくらいのものです。良心的に訳して「ジャンヌ嬢ちゃん」「ジャンヌねぇちゃん」 くらいの感覚でしょうか。 つまり、彼女の存在というのは昔はそんなに重視されていなかった。救国の乙女の伝説は、オルレアン周辺だけで 語り継がれるマイナーな話だった訳です。
これを大々的に宣伝し歴史の表舞台に引っ張り出してきたのがナポレオン。 国民国家を作る上で、フランス史上の英雄というものが必要だったんですね。20世紀初頭に至り、一度は異端として 火刑に処されたジャンヌダルクは教会により列聖までされてしまいます。
まぁ、フランス最初の英雄と言われてる ウェルキンゲトリクスなんてガリア人の一族長ですから、まだジャンヌの方がフランスの英雄として相応しい のかもしれません。・・・しかし歴史は勝者のモノなんだなぁとつくづく思ったり。
そういえばウェルキンがカエサルに対して挙兵した地は、後にジャンヌが英軍から開放した オルレアンでした。そしてその後カエサルのガリア経営の拠点となり、パリが発展する前はフランス王国の首府が置かれたりもしました。古代からこの土地の有用性ってのは認識されて たんですね。
※ウェルキンゲトリクスについて知りたい人は、「カエサルを撃て」:佐藤賢一 や「ローマ人の物語」:塩野七生 を読むといいと思うよ!
●イギリスの王家はノルマン・コンクエストの時代からずっとフランス人の血を引いている訳で※、100年戦争前は王家の人間 なんてイギリスにはめったに行かずフランスの領地で過ごすのが普通でした。当然英語はしゃべれず宮廷ではみんな フランス語を使っています。イギリスは王号がついてくるお得な植民地程度の扱いです。
100年戦争の原因がそもそもイギリス王家の大陸における領地の問題、あるいはフランスの王権そのものだったりします。 イギリス王家からしてみりゃ、大陸に正当な領有権を主張できる血筋なわけですから。
※イギリスのノルマン朝の開祖ウィリアム1世は、フランスの豪族ノルマンディー公ギョームなる人物で、 当時のイギリスの国力は富裕な一豪族が征服できる程度のものだったわけです。まぁ初代ノルマンディー公ロロは仏王家に領地を認められたヴァイキングですので、彼らをフランス人と言っていいかは知りませんが。
長い戦争の間に、イギリスにも「イギリス生まれイギリス育ち、仏語がしゃべれない」王が生まれますが、やっぱり本領 はフランスであるという意識がどこかにあるのでしょうか。イギリスはなかなか大陸への野心を諦めませんでした。
諸侯にしても、自分の領地さえ保障してもらえれば、封主はイギリス王でもフランス王でもよかった。 それが戦争を100年も長引かせたわけです。
ヒーローと裏ヒーロー
百年戦争のヒーローといえば、前半期においてはイングランドの「黒太子」エドワード。 後半期においては、「オルレアンの乙女」ジャンヌ・ダルク、というのが定説です。 歴史の教科書なんかでも、百年戦争の項目で出てくるのはこの二人+当時の両国の王くらいです。 しかし歴史には、この表のヒーロー達にひけをとらぬ活躍をする裏のヒーローが存在します。
百年戦争前半期においては、黒太子の好敵手・ベルトラン・デュ・ゲクラン大元帥。 長弓隊の、積極的に攻撃するに不向き(待ちの戦法のため、防衛戦・会戦にならないと機能しない) という欠点をいち早く見抜き、兵站を狙ったゲリラ戦で奪われた領土を次々と奪還。
100年戦争前半期のフランスを一人で支えたといっても過言ではないでしょう。 佐藤賢一氏の「双頭の鷲」の主人公として、日本でもだいぶ知名度が上がりました。
後半期の裏ヒーローは、アルチュール・ド・リッシュモン大元帥 (ブルターニュ公アルチュール3世)。 一時はシャルル7世に遠ざけられながらも、 宮廷に復帰した後は獅子奮迅の働きでフランスの失地回復に努めます。
ブルターニュ公ジャン5世の実弟、ブルゴーニュ公フィリップの義弟という出自は、 当初シャルル7世に疑念を抱かせる原因ともなりましたが、後には両公とフランス王国の 仲立ちとして政治的にも大きな存在感を示しました。(ちなみにこの婚姻は元々イングランドの主導で、両公の結束を強めどちらも味方にするためのものでした。)
生涯の敗戦は一度きり、それも政敵ラ・トレモイユ侍従長に補給を妨害されたため。 シャルル7世の挙兵から百年戦争終結までを担う、当代最高の指揮官でした。
彼の業績は戦場での活躍だけに留まりません。傭兵隊を再編成した「勅令隊」、教会区ごとに農民を徴発して 編成した「国民弓兵隊」を組織。これはフランス初となる本格的な常備軍で、封建騎士と傭兵からなる 従来の戦のありかたを一変させました。更に軍で使用される大砲の規格を統一し、訓練を徹底することで 砲兵の組織運用を可能にします。これは近代戦につながる火器運用のひながたというべきものです。
100年戦争後の功臣粛正の流れにのまれて、彼の名は表の英雄として残ることはありませんでした。 しかしジャンヌ・ダルクよりもはるかに直接的に、長期にわたってフランスの勝利に貢献した 人物であり、この人なくしてはシャルル7世は「勝利王」たりえなかったと言ってもよいでしょう。
*勢力図とか解説は割と適当です。細かい違いとかは笑って許してください。
・本編および解説に使用した参考文献一覧
「英仏百年戦争」 佐藤賢一 集英社新書
「ジャンヌ・ダルクとその時代」 清水正晴 現代書館
「青髭ジル・ド・レの生涯」 清水正晴 現代書館
「百年戦争とリッシュモン大元帥」 河出書房新社 J・P・エチュベリー著 大谷暢順 訳
「傭兵の二千年史」 講談社現代新書 菊池良生
「武器甲冑図鑑」 市川定春 新紀元社
他、webや百科事典等。