……ええ、なんだって。ウォーターはぽかんと口を開けた。

「冗談はよせよ。だって君、王太子殿下はまだ1歳かそこらの赤ん坊だろう?」

 2年前のこと、先王ジェームス3世は死の床にあって、後継者に長女を指名した。女王の即位には批判の声もあったが、王は男児にめぐまれず、他に適当な王族もいなかったのだから致し方ない。そうして即位したのが、現女王エヴァンジェリン2世である。

 しかし皮肉にも、女王の即位の数ヵ月後、ジェームス3世の妾の一人が男児を産んだ。これが王太子、ロバートである。女王エヴァンジェリン2世にとっては異母弟にあたる。

「こんなときに冗談なんか言うもんか。年齢なんて関係ないのさ。いいや、むしろ、何もわからない赤ん坊のほうが、都合がいいんじゃないかな」

 なおも得心のいかない顔をするウォーターを見て、トマスはため息をついた。

「君、いいやつだけどちょっと鈍いよな。僕はつまりこう言ってるんだ。『王太子殿下を利用して、裏で権力を取ろうとしている奴がいる』ってね」

 そこでようやく、ウォーターの思考が追いついた。

「一体誰がそんな!」

「しーっ!」

 激昂していきなり立ち上がろうとするウォーターを、トマスがなだめた。幸いにも同室の弁士たちはまだまだ喧々諤々の議論に夢中なようで、二人の不穏なやり取りを聞きとがめる者は一人もいない。

「落ち着けよ。そんなにあせらなくても教えてやるさ。もう一回確認するけど、君、それを聞く覚悟はできてるんだよな」

「当然。そこまで聞いてしまって、後になんかひけるもんか」

 ウォーターは怒っていた。そんなよこしまな野望のために、あのお美しい女王陛下を狙うとは。考えるだけで、次から次へと暗い怒りがこみ上げてくるようだった。

 トマスは、そんなウォーターの様子を見て不思議に思った。ウォーターは王国の兵士でもなければ宮廷勤めの役人でもない。権威などとは無縁の貧しい羊飼いの少年が、なぜこんなにも女王陛下に対して厚い「忠誠心」を持っているのだろう、と。

 ミセス・ハーヴェイはそれを「正義感」だと解釈したが、トマスは何かそれとも別な理由があるような気がしていた。ただし、柔軟な性格のトマスは、そんな底知れないところもウォーターの面白さだと思っていたし、それ以上のことを追求するつもりはなかった。

「……オーケイオーケイ、よーくわかった。そうだよな、そんなこと、断じて許されちゃいけない。じゃあ、悪者は一体誰だ?」

 トマスは今までよりも更に声を一段落として言った。

「君、ゲインズボロー司教という人物を知っているか」

 知らない、ウォーターは正直に答えた。

「女王陛下の侍従のひとりで、ティンタジェルの光神教会のまとめ役という、宮廷の実力者だ。……そして、例の事件の際には、お供の一人として女王陛下の列に加わっていた。先頭の竜からは一番離れた、最後尾の馬車にな」

「だったらそいつが!」

 ウォーターは身を乗り出した。トマスはそれを押しとどめるように言葉をつなぐ。

「女王陛下の名代として、この裁判を強行に推し進めているのは、そのゲインズボロー司教だ。自分も危険な目にあった一人だという名分があるからな。女王側の弁士も、君を捕らえた役人も、みんな司教の子飼いだ。暗殺に失敗した腹いせをかねて、君を犯人にしようと、裏でこそこそやってる……まあ、ここまで見え透いてると、逆に褒めてやりたくなってくるね。そのぶ厚い面の皮を」

「……いや、ちょっと待てよ。おかしいじゃないか」

 あきらめ加減で皮肉を言うトマスに、ウォーターは食って掛かった。

「そこまでわかってて、なんで女王陛下はそいつを罰しようとしないで、こんな茶番をやらせておくんだ」

「いい質問だ。僕にだって推測できるくらいなんだから、当然女王陛下も、ゲインズボロー司教の暗躍はご存知さ。でも、わかっていても、女王陛下は彼を罰することができないんだ」

「なんでだよ!」

「……今から言うことをよく聞いておけよ。そして、絶対口にするな」

 トマスは一度もったいぶってから、ついにそれを口にした。

「ウィルバー・ハンフリー猊下の名は君も知っているだろう」

「ああ、そのくらいは。この国の宰相で、一番偉い聖職者の、枢機卿猊下だ。前の王様の時代からアヴィリオンに仕える忠臣だって、みんな言ってる」

「そう、その枢機卿猊下だ。聞いて驚くな、彼は既に宮中の高官を掌握し、この国を実質的に動かしている『影の王』だ。女王陛下でさえ逆らうことができない、真の『絶対者』だ。そしてゲインズボロー司教は枢機卿の懐刀と目される人物、今回のことを訴えても、黙殺されるのがおち……なぜなら、女王陛下を廃して王太子殿下を立てようとする企み、その中心いるのが、枢機卿その人だからな」

「…………………」

 ウォーターは絶句した。そして優に3分の沈黙の後、「冗談だろう?」とやっとのことで搾り出した。

「誓って冗談じゃない、ウォーター。君と陛下の敵は、枢機卿猊下だ」

「……だって、そんなこと、信じられない」

 名宰相との呼び声高いハンフリー枢機卿。

ウォーターを含めて、多くのアヴィリオン国民は、彼に敬意を払っていた。君臨する女王の手足となって働き、この国を富ましてくれているのだと。事実、ハンフリー枢機卿がもたらした外交・内政の成功により、アヴィリオンはこの十年で近隣諸国を圧倒する成長を遂げていた。

 その枢機卿猊下が。

「……ひどいじゃないか、そんなの」

 トマスの話は、ウォーターが二十年弱の人生で築いてきた世界観を、粉々に砕くものだった。気づけばウォーターの手足は、彼の意思と関係なく、激しく震えていた。

「それを冗談ととるのもまた、君の自由だ」

 トマスは突き放すように言った。

「ひとつ、君を安心させるために言っておこう。枢機卿一派を敵に回して裁判に勝てるのか。その心配ならしなくてもいい。どうしてかわからないけど、ゲインズボロー司教は、君の罪を決定する判事にまでは手を回していないようだから。……やろうと思えばできたはずだけれどね。訴えそのものはそれはもう適当で無茶苦茶だから、矛盾を指摘してやれば君は証拠不十分で君は釈放になるだろう。裁判には、勝てる……」

 トマスは、うん、とひとつうなずいた。

「僕としては、その不徹底がまた、底が知れなくて不気味なんだけどね」

 うつむいて、何事か小声でぶつぶつと言っているウォーターを見て、トマスは少し後悔していた。ああ、あんなに落ち込んで。やはりこの事実は「ただの羊飼い」には重すぎたのだろう。

 いや、無理もない。いくら意気込んでみたところで、あの高名な枢機卿が君の敵だ、などと言われれば、誰だってしり込みもするだろう。本人が知りたいと望んだとはいえ、ちょっとかわいそうだったかもしれない。

 と、そのとき、控室に法院付きの兵士が入ってきた。

「開廷の時間です。入場を願います」

 兵士がその言葉を三度繰り返し、トマスが促してようやく、弁士たちは議論を中断し、がやがやと移動をはじめた。

「さあ、行こうぜ。暗い顔をするなよ、君は僕たちが守ってやるさ」

 トマスはうつむいたままのウォーターの手を引き、弁士たちの後を追って法廷へと入っていった。

ご感想はこちらから